阿含経を旅して

阿含の教えに学ぶ

阿含経の先祖供養

墓を作ったマハー・ローマハンサ

一 我、塚墓中に人骨を置きて臥床(寝床)を作れり。村民は近づきて多くの様を示せり。
二 また他のものは香・花・鬘、多種多様の食物、その他の捧げものを(世に関する)倦怠の意を以て、手にて持ち来たれり。
三 我に苦をなすもの等と、また我に楽を作るもの等と、すべての者に平等にして愛(執着)と恚(怒り)なかりき。

四 楽と苦において平等にして、また名声と不名声においても、一切の場合において我平等なりき。これわが捨波羅蜜なり。
南伝大蔵経 小部教典 所行蔵経 第一五 マハー・ローマハンサの所行

これは、ブッダの本生物語の一つです。マハー・ローマハンサが、墓を作り無くなった人を弔っていると、村人たちのなかには、供養されている人骨の生前を知る者がいて、嫌悪したり、また喜んだりした者がいたのでしょう。マハー・ローマハンサは、そんなことに関係なく供養を続けました。
この話は、先祖だけでなく、広く死者を供養することが怨親平等なる捨波羅蜜(平等心の実践)となることを示しています。また、「塚墓中に人骨を置きて臥床(寝床)を作れり。」というのは、当時の埋葬の様子を知る貴重な手がかりとなります。他のお経と示し合わせると、仏陀仏弟子たちの時代には、死者を荼毘に伏して埋葬する習慣があったことが伺えます。ヒンドゥー教徒は、先祖供養はしますが、墓は作りません。死後には肉体は滅び、魂は転生してしまうため、墓は必要ないというのです。しかし、阿含経の中には「塚間:ちょうけん」もしくは「丘塚」という語がときおり出てきます。塚とは文字通り墓を意味する単語ですから、阿含経の世界では、死者の骨をお墓に埋葬するというのが一般的な習わしであったと言うことが推測できるのです。

阿含経の先祖供養

パーリ聖典 餓鬼事経から先祖供養のお経です。


戸外鬼事

一 彼らは住家の外に、または街の四辻に立ち、あるいわ古き各自の家に行きて戸口に        立つ。
二 過去の業によって多く食物や飲物、堅き食物、軟らかき食物の供えられたる時、この世の因縁あるものは、誰も彼らを記憶するものなし。
三 慈悲ある人は、因縁あるもののために、清浄にして、すぐれたる、時に適したる食物飲物をあたふ。こは、汝ら逝きにし因縁あるもののためとなれ。因縁あるものは満足してあれと言いつつ。
四 彼らは此処に集まり、集まりし因縁ある餓鬼らは多くの食物飲物に非常に喜ぶ。
五 彼らは言う、これらのものを受けたるその人々によりて、我ら因縁あるものは長く生きん。我らのために供養はなさる。またこの施主は果なきことなしと。
六 実にこの世界には耕すこともなく、牧畜もなく、商売の如きもなく、金によりて売買することもなし。
七 この世から受くることによりて、死の世界の餓鬼は生きていく。高き所の水の低きに流るるが如く、かくの如く実にこの世からの施物はもろもろの餓鬼に利益あり。
八 溢るる河の流れ海を満たす如く、その如く実にこの世からの施物はもろもろの餓鬼に利益あり。
九 我に施したり、我に善行をなせり。彼らはわが因縁あるものなり、友なり、仲間なり。過去の業を憶い起こして餓鬼に施物を与えしめん。
一〇 泣くことも、悲しむことも、その他嘆くことも、この餓鬼らには何の益ともならず。かくの如く因縁あるものは立ちてあり。
一一 されどこの施物の僧団に与えられ使用せられなば、長く死人の利益となり、よく彼を利す。
一二 ここに記せられたるこれは、因縁あるものに対する義務にして、もろもろの餓鬼には非常なる供養がなされ、僧には力を与える。また汝らには少なからず福が得られると。
南伝大蔵経、第二五巻小部教典、餓鬼事経、五、戸外鬼事


ここでは、二種の餓鬼供養の方法が説かれています。一つは辻や戸口にたつ餓鬼に、彼らの為になるようにと唱えつつ、飲食物を供える。二つめは餓鬼の為に僧団にお布施することです。この布施の功徳を餓鬼に回向するのです。そしてそれは因縁ある者らに対する私たちの義務であると説かれています。

※因縁ある者らとは、その土地に縁のあるものという意味で、死後すがるもののない者たちは、因縁のある家や土地に戻ってくるといわれています。

阿含経に説かれた「本地垂迹説」

前回、さまざまな因縁に苦しむ衆生に対して、その衆生の目線にまで下りてくださり、共に因縁解脱を目指してくださるような仏さまがいたら、素晴らしいことではないでしょうか。釈迦牟尼世尊こそ、そうした大慈大悲のお力を持つ仏さまでした。

と、述べました。

それは勝手に私が推測して言っているのではありません。阿含経にはっきりと記されている釈迦牟尼世尊の力であります。

 

アーナンダよ。 ここに八つの集いがある。その八つとは何であるか? 王族の集い、バラモンの集い、資産者の集い、修行者の集い、四天王に属する衆の集い、三十三天の神々の集い、悪魔の集い、梵天の衆の集いである。


アーナンダよ。わたしは幾百という王族の集いに近づいて、そこでわたしが、かつて共に集まって坐し、かつて共に語り、かつて議論に耽ったことを、ありありと想い出す。その場合わたしの(皮膚の)色は、かれらの(皮膚の)色に似ていた。わたしの声は、かれらの声に似ていた。
わたしは〈法に関する講話〉によってかれらを教え、諭し、励まし、喜ばせた。ところが、話をしているわたしを、かれらは知らなかった。ー〈この話をしているこの人は誰であるか? 神か? 人か?〉といって。わたしは、〈法に関する講話〉によって、かれらを教え、諭し、励まし、喜ばせて、すがたを隠した。ところがすがたを隠したわたしのことを、かれらは知らなかった。―(この、すがたを隠した者は誰であるか? 神か? 人か?といって。


アーナンダよ。わたしは幾百というバラモンの集いに近づいて……(略)
資産者の集いに近づいて….
修行者の集いに近づいて……
四天王に属する衆の集いに近づいて……
三十三天の神々の集いに近づいて……
悪魔の集いに近づいて……
梵天の集いに近づいて……
そこでわたしが、かつて共に集まって坐し、かつて共に語り、かつて議論に耽ったことを、ありありと想い出す。その場合にわたしの(皮膚の)色は、かれらの(皮膚の)色に似ていた。わたしの声は、かれらの声に似ていた。わたしは法に関する講話》によってかれらを教え、諭し、励まし、喜ばせた。ところが、話をしているわたしを、かれらは知らなかった。――(この話をしているこの人は誰であるか? 神か? 人か?)といって。わたしは、〈法に関する講話〉によって、かれらを教え、論し、励まし、喜ばせて、すがたを隠した。ところがすがたを隠したわたしのことを、かれらは知らなかった。―(この、すがたを隠した者は誰であるか? 神か? 人か?といって。

パーリ長部経典、大パリニッバーナ経

漢訳阿含経、遊行経にも同様の箇所があり、

そこでは、精進力、定力をもって至る所に出現したとあります。解説には仏が自己の本地を隠して八衆を救済する仕方がきわめてすぐれていることを述べているとあります。

参考文献:現代語訳阿含経典「長阿含経」第一巻 平河出版社

 

このお経は、ブッダのもつ不思議な能力を示しています。これを変化身といい、ブッダは望むものになんでも変化することができました。ブッダはこの能力によって、さまざまな衆生を救うことができたのでしょう。たとえば六観音は、こうしたブッダの変化身が発展してできた尊格と思われます。

この思想はやがて本地垂迹説として日本にも受け継がれました。

本地垂迹とは、仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、神道八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現であるとする考えである。 ウィキペディア

 

六観音コトバンクより)

仏語。六道にいて、衆生を救うという六体の観世音菩薩。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道に配置された観音。すなわち、地獄以下の六道に応じて順次、古くは大悲・大慈・師子無畏・大光普照・天人丈夫・大梵深音の六観音とされたが、密教では聖・千手・馬頭・十一面・准胝(じゅんでい)・如意輪(にょいりん)の六観音とも、准胝の代わりに不空羂索をさすともいい、また、千手・聖の三観音を入れかえる説もある。

 

 

阿含経を依経とする阿含宗がなぜ密教系の諸仏を礼拝するか。

そもそも、大日如来も、不動明王も観世音菩薩も歴史上の人物ではありません。

阿含経を依経とす阿含宗が、こうした密教系の諸仏諸菩薩を礼拝することに、違和感を感じる方がいても不思議ではありません。

そもそもこうした尊格は仏の持つ救済力や智慧、徳などを理念的に表した概念上の仏であります。ですから、その救済力に応じてさまざまに表現されたのが密教系の諸仏諸菩薩なのです。そのもとは、いうまでもなく、ブッダ釈尊であります。

阿含宗開祖は、機関紙の質問コーナーで次のように説かれています。

 

『真実の仏を奉戴してこそ真の力が授かる』
わたくしたち阿含宗信徒は実在の仏である釈迦如来のご聖骨、つまり真正仏舎利をご本尊としてお祀りしております。だからこそ、わたくしたちは観世音菩薩を通じて、実在の根本仏としての釈迦如来を拝むことができるわけです。それにより、釈迦如来大慈悲が観世音菩薩を通じてわたくしたちにくだされるのです。
しかし、たとえである架空の存在としての仏さましか拝んでいないのでは、架空の力しかいただけないぞ、とわたくしは言っているのです。分かりますか?

仏さまの中にはすさまじい念怒、怒りの心もあります。慈悲と念怒とは両立しないようだけれども、人を救わなければいけないという慈悲の心がきわまり、この人間はぶん殴らなければ目が覚めないという時は、仏さまの慈悲の表れは憤怒となり、げんこつをゴッンとくださる。これは深い慈悲の心から発した愛の拳です。
この念怒を表したのが不動明王です。ですから不動明王を拝むのでしたら、仏さまから叱られるような悪い心を捨て去るように願って、不動明王を通じて根本仏の釈迦如来に感謝の心を捧げ、「私は悪い煩悩をなくします」とお誓いすることが本当ではないのか、と申しているわけです。

 

このように、阿含宗では、さまざまな仏様を拝んではいても、その奥にブッダ釈尊の成仏力をいただいています。これを密教では本地身と呼びます。仏教語大辞典では、これを本地法身ともいい、一切の根本となる法身、すなわち毘盧遮那仏の実相法身をいうとあります。毘盧遮那仏とは、もとは太陽の意味で、仏智の広大無辺であることの象徴としました。阿含宗では、いうまでもなく、この仏智の本体とは釈迦牟尼であり、ご聖骨である仏舎利尊から発せられる成仏力をいうのです。

 

この仏智のさまざまな表れが、さまざまな尊格を産み出しているのです。それはごく自然なことで、救済すべき衆生は無数におりますから、その衆生に応じて法を説くわけです。たとえば大企業の社長がひとりでも、さまざまな部門に分かれて、それぞれの部門のリーダーたちがいろいろな仕事をこなすことと似ています。

 

いや、いや、わたしは釈迦牟尼一本でいきたい。釈迦牟尼世尊だけ拝んでいればいいではないか。とお考えの向きもあると思います。それはそれで、結構なことだと思います。しかしながら、さまざまな因縁に苦しむ衆生に対して、その衆生の目線にまで下りてくださり、共に因縁解脱を目指してくださるような仏さまがいたら、素晴らしいことではないでしょうか。

 

釈迦牟尼世尊こそ、そうした大慈大悲のお力を持つ仏さまでした。

阿含経と密教

阿含宗阿含経を依経としながら、密教の様式で阿含経を実践しています。

これは、以前ご紹介したとおり、密教の様式は仏舎利を供養するための形式として最高の形式であるから採用しているということです。

仏教には成仏法と供養法があります。

成仏法は七科三十七道品であり、梵行と瞑想、縁起観などから構成される純然たる修行法であります。一方、ブッダや神々にたいして祈る儀式は、供養法として発展していきました。

阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下はその著、座右宝鑑のなかで以下のように述べられています。

 

仏教の法には、成仏法と供養法の、二種の法があることを知らねばならない。
供養法とは、仏や菩薩をまつって御供養し、御加護を祈る法である。
真言密教は、祈鷹仏教とも呼ばれる。中世、皇室や貴族から、さまざまな祈橋を
依頼された。上は国家鎮護から、官位の昇進、競争相手の呪詛、病気平癒、等々、
限りがなかった。 法験をあらわせば莫大な恩賞や昇進を受けて世にときめき、効験
なければ、門前、雀羅を張って人足が絶える。みな競って、法に工夫を凝らし、念
をこめた。そのために、供養法という祈禱の法が完成したのである。

その中でも、如意宝珠法は傑作で、最高の供養法と思われる。だからこそ、密教
大辞典にいうように、最極深秘の法、とされているのである。
しかし、阿含宗の如意宝珠法が、特にすぐれた法験をあらわし、奇蹟を生むのは、
本尊が、仏陀釈尊の「御聖物」である真正仏舎利だからである。法がいくらすぐれ
ていても、本尊が本物の御聖物でなければ、それだけの効果は期待できない。
私はこの法を、小田慈舟大僧正猊下から御伝授いただいた。

 

当時、ブッダが祭式について述べられた記述はわずかですが、以前にもご紹介させていただいたとおり、ブッダが祭式として最も優れていると挙げたのが、護摩法要でありました。

ブッダ在世当時から、バラモンクシャトリヤ階級の人々は、ブッダに帰依したのちも、ブッダへの供養として護摩法要をしていたのであります。

ですから、阿含宗密教の様式を採用したのは、ごく自然な流れでありましょう。

もっとも、当時、出家が中心であった釈迦仏教は、袈裟と托鉢用の鉢しか所有が認められなかったので、護摩法要はもっぱら在家信者の仕事だったといえましょう。

阿含宗は在家中心の仏教でありますから、供養法といえば護摩法要なのであります。

先祖供養はなぜ必要か?

 ブッダの直説の経典、阿含経を紐解いてみますと、ブッダは先祖供養の大切さ、お墓の大切さを説いていたことは確かなことです。また、霊的なさまざまな障りがあることもお経のなかにはいくらでも出てまいります。また釈尊の弟子や信者たちは、その教えを素直に守っているようにみえます。

 しかし、当然のことながら、現代人は先祖供養や、霊障などにまつわる霊的世界の決まり事や、出来事などには多くの疑問点をもちます。

 阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下も、阿含経に説かれる成仏法を自ら修行し、釈尊のような霊視能力(仏教では天眼通)を持つにしたがい、釈尊の教えがもっともであることを悟られましたが、どうやって現代人にそれを説くかは大きな課題でした。

 開祖は深層心理学を深く学ぶうちに、リポット・ソンディという著名な心理学者の学説に行き当たります。

 開祖は「守護霊が持てる冥徳供養」のなかで、このように述べられています。

 それまでの深層心理学は、おおづかみに分けて、フロイトの「個人的無意識」、ユングの「集合的無意識」(群衆心理学)の二つの層が対象とされていた。
 ところが、ソンディの運命分析心理学は、この二つの層の中間にある「家族的無意識」という無意識の第三番目の領域をきりひらいたのである。
つまり、「個人」と「群衆」の間に、「家族」を発見したわけだ。これはじつにユニークな、そして妥当な発見であった。
 結論として、ソンディは、つぎのようにいうのである。

 

個人の無意識層の中に抑圧されている特殊な祖先の欲求が、子孫の恋愛・(結婚)・友情・職業・疾病・および死亡の形式、における無意識的選択行動となって、その運命を決定する。


 先きに、私は、無意識層にひそむ祖先の記憶がわれわれを動かす、といった。ソンディは、祖先の欲求という表現をしている。結局おなじことをいっているわけだが、心理学者としてのソンディの立場からすれば、この表現のほうが、妥当であろう。
 だが、なんと! このソンディの理論によると、中途挫折の因縁どころか、職業、友人、恋人や結婚相手の選択、病気、死にかた! まで決定されてしまうのである。だれに? 特殊な祖先に、である。
 これだけのものを、特殊な祖先に決定されてしまったのでは、自分の意志など、まるっきり無いも同然ではないか。

 

 フロイトは人間の無意識のなかの強制力を運命神経症反復強迫、自己破壊の傾向を持つ精神形態と呼びました。その学説に深く興味を覚え、研究を始めたのがソンディです。彼は、いわば運命の反復的な強制力を「特殊な先祖の欲求」によるものと考え、家族的無意識という新たな心理学を創始しました。彼は言います。「恋愛・友情・職業・疾病および死における選択の分析にもとづいて、選択の根源は無意識である」 

 ソンディは祖先の運命を強制的に反復する事例として、自分自身の体験や、ドストエフスキーバルザックという著名な文豪の事例などを詳細に分析して、私たちの選択行動は、つまるところ祖先の抑圧意識が強制させる無意識に由来することを突き止めました。

 ではこの祖先の特殊な欲求は何によって伝わるのか?ソンディは遺伝によってそれを説明しようとしました。しかし、たとえば異性に対する好みから、その運命上の結末に至るまで、祖先の遺伝情報によって強制的に反復させることができると考えるのは遺伝学上あり得ないのではなでしょうか。

 この問題には遺伝学も明確に答えられないのであります。開祖は、ブッダの成仏法を修行してえた霊視能力をもとに、大勢の人の霊視を行い、やはりそれは、霊的に伝わる祖先の特殊な欲求によると考えました。

 しかし祖先の特殊な欲求が、悪いものばかりではなく、世のため人のためにたつ欲求であったりもします。このような徳のある先祖の影響を受けることもあるわけです。

 そうであれば、当然のことながら、無数にある先祖のなかで、どうして特定の先祖が個人に影響を与えることができるのか。また、影響されるのであれば、徳の高い、素晴らしいご先祖の影響だけをうけることができないか、という疑問もわいてまいります。

 このあたりは誤解を避けるためぜひ、本書を一読していただきたいと思います。

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パーリ長部経典のアータナータスッタからわかること

パーリ長部経典のアータナータスッタからわかること

Vシネマまっさおの威容をもつ四天王がブッダ仏弟子を悪鬼から守るための呪を教えた。

②呪は二部構成からなり、第一部は過去七仏と、四天王それぞれの神様の賛嘆と帰依からなる内容

③第二部はそれでも邪魔をする悪鬼には、より強力な護法善神を呼び出し、調伏を祈る内容

ブッダはこの護呪(パリッタ)に習熟せよと説いた

 

さて、ほんとうにブッダ釈尊は、子供にサンタクロースの存在を信じさせるように、弟子や信者たちに四天王を信じさせたのでしょうか。

普通なら漫画のなかにしか存在しないような空想の産物から身を護るために、釈尊は、わざわざこの四天王の呪を習熟せよと説いています。

このように考える現代人はもちろん常識的な人であります。

しかし、それなら、日本に数ある神社でお祀りされている神さまは、みんな空想の産物で日本人は、おとぎ話のようなキャラクターに入れあげているということになります。

たしか福沢諭吉さんのエピソードに、村の稲荷神社に御神体として祀ってあった石を別の石にすり替え、村人がその前でご神体を敬っているのをみて笑ったそうです。

しかしながら、先祖を敬い、神々に畏敬の念を持つといった日本人古来からの精神性をにべもなく断じて、一顧だにしない世界観からは、日本の精神文化が生まれることも、育まれることもなかったでしょう。

※ちなみにご神体の石というのは、神道の常識からいえば、「御霊代」みたましろのことであって、当然、神そのものではありません。鏡、剣、玉、石、弓矢など永久性を帯びるものに憑依するとあります。

ブッダは霊的世界とその存在を経験し、霊的存在たちに祈ることの大切さを説いています。この流れはさまざまな護法善神や、諸仏諸菩薩に祈る原型ともなって、密教へと発展していきます。

 

阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下は、仏典にしばしば登場する龍王龍神の記述を、ヘビの話に尾ひれがついて神話化されたものと考える仏教学者に対してこう述べておられます。
龍王龍神と、ヘビとはなんら関係ないのである。
龍王龍神とは、いうならば、大神通をあらわすひとつの意志を持った巨大なエネルギーであるとわたくしは考える。その大神通のエネルギーが、わたくしたちにその存在を示そうとするとき、どういう形状を以てするであろうか? そのエネルギーがわたくしたちの意識の中でそれにいちばん近いもののかたちをとるとき、「龍」という概念になる。

「龍」はわたくしたちの想像の中で、風をよび、雲にのって大自在力をふるう』という神霊的なものとして、意識に定着している。それは古代インドにおいて、ブラーフマナや、スートラ文献にしばしば登場し、大神通力をあらわす神霊的存在となっている。それが、現代におけるわたくしたちにも、信ずる、信じないはべつとして、意識の底にうけつがれている。このエネルギーがわたくしたちのこころのエネルギーに感応してひとつの形状をあらわすとき、このかたちをとるのである。実在の生物としてのヘビとは、なんの関係もないのである。

『輪廻する葦』平川出版社より引用