阿含経を旅して

阿含の教えに学ぶ

世界最大の護摩法要 阿含の星祭り

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https://www.agon.org/hoshimatsuri/about.html

 


護摩法要は、阿含宗ではもっとも大切にしている法要です。

そもそも、この護摩法要とは何なのでしょうか。

どういった意味があるのでしょうか。

以下は阿含宗出版部から発行されたアゴン・マガジン、別冊『阿含の星まつり 神仏両界大柴燈護摩供』からすこし引用させて頂きます。

 

 護摩は、世界で最も古い宗教儀式の一つであり、三千年も昔のインドの聖典ヴェーダにも記載されています。

 護摩という名称は、サンスクリット語のhoma(ホーマ)を音写した漢語であり、「焼く・焚く」という意味をあらわします。これは、インドのバラモン教において古くから行われている祭祀法で、今日でも広く行われています。

 バラモン教護摩は、供物を祭壇の火中に投入すると、その供物は、火の神アグニの手により火炎となって天に昇り、天の神々の口に届く。神々はそれにこたえて、人間の願いごとをかなえてくれる、という信仰にもとづいたものです。

 

 仏教の護摩

 この儀式を、のちに仏教(密教)が取り入れました。しかし、取り入れるにあたって、内容を大きく変えました。

 どう変えたかというと、災いを除き福を招くという世俗的願望の成就に加えて、その奥に、より高度の仏教的精神解脱を成就するように組織したのです。

 つまり、バラモンの祭儀に、仏教の教義を取り入れたわけです。どう取り入れたかちうと、焚く護摩の火を、ブッダ智慧の火にする、ということにしたのです。

 焚く護摩の火はたんなる火ではなく、ブッダ智慧の火である。その火を以て人々の煩悩を焼き尽くし、ブッダの悟りを得させるのだということにしたのです。

 つまり、バラモン教では、護摩の火は、供物を神々に届ける運搬手段に過ぎなかったわけです。それを仏教は、ブッダ智慧の火として、悟りの手段としたのです。仏教の教義として最高の理論といえるでしょう。

 

 阿含護摩

 桐山管長は、仏教門に入り修行を続けるうちに、密教護摩法を学ばれました。そして一心に護摩法を修行されているうちに、この理論に疑問を持たれたのです。

 焚く護摩の火を、ブッダ智慧の火とすることには異存はない。しかし問題は、自分の焚く護摩の火を、どのようにして、どんな方法によって、ブッダ智慧の火とするのか、ということです。たんに、心の中で、これはブッダ智慧の火であると観念し、思念するだけでは、たんなる観念論にすぎない。現実にブッダ智慧の火とするための方法がなくてはならない。それがなかったら、たんなる焚火ではないか。

 そう考えられたのです。

 その疑問を解決するために修行を続けられた結果、阿含経に到達しました。

 阿含経は、当時の日本において小乗経典の軽蔑され、だれも手に取るものはいませんでした。しかし、桐山管長は、それは大きな間違いであって、阿含経こそ、ブッダが教説された唯一の尊い経典であることを発見されたのです。

 

 なぜ、阿含経尊いのか?

 それはその中に、ブッダが「成仏法」を説いておられるからです。

 成仏法とは、ブッダになるための方法です。ブッダになるための「教え」ではなく、「方法」なのです。

 大乗仏教は、ブッダになるための教えは説いていますが、ブッダになるための方法は説いておりません。ブッダになるための方法を記した経典は、後にも先にも阿含経しかありません。それを桐山管長が発見され、世に弘めるために、阿含宗を立宗されたのです。 -後略



阿含宗開祖、桐山靖雄管長猊下は、阿含宗護摩法要や密教の様式を採用する理由を以下のように説かれています。

 

釈尊阿含アーガマ)において説かれた成仏法「七科三十七道品」を、密教の様式で修行することこそ、最高の仏教であるとわたくしは確信し、これを実践している。

なぜ、最高の仏教というのか?

仏教の歴史のなかで、密教は最後に登場した。そのゆえに、様式的には最高の発展をみた。釈尊の説かれた仏法の神髄を、この密教の様式で修行することこそ、最高度に完成された仏教であるというべきではなかろうか。―後略

写真集『阿含の星まつり』(1984年12月発行)「序」より