阿含経を旅して

阿含の教えに学ぶ

スルーされた釈迦牟尼仏の教えの原点

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『輪廻する葦』1982年刊の古い本ですが、内容はいまもなお警鐘と示唆に満ちた、現代社会に必読の書であるといっても過言ではない、極めて優れた良書だと思います。

この本で著者が訴えたかったことは、私の理解ではつぎのようになります。

その①

ひとつは、エントロピーの法則によって、遠からず起きる未来の破局について。環境破壊と資源枯渇のまえに、人類はどのような選択をとるべきか。著者は訴えます。

「われわれが、物質的欲望の充足を目標としているかぎり、物質を支配する法則、「エントロピーの法則」から脱出することはできない。
シャカは「霊性の獲得」という方法により、物質世界の法則からの脱出を説き、その方法をわれわれに示した。それにより、人間は、物質世界の法則から超越し、霊的世界という高次元の世界に生き、高次元の世界を創造することができることを教えられたのである。それが、シャカの「成仏法」である。

その②

ふたつめは、このシャカの「成仏法」は阿含経にしか説かれていないという事実を著者は訴えます。

その③

中国仏教と西欧仏教学により、阿含経の最も重要な原点である、輪廻転生と神通力は削られてしまったと訴えます。

著者は、仏教が常識としてもっていたインドの輪廻転生思想が、当時のシナ思想には受け入れられず、もっぱらご現世利益を説く大乗経典が主流となったと訴えます。

そのため、阿含経は当時のシナにおいて、低い教えと教相判釈されてしまったようです。

また釈尊霊性と神通力は、ヨーロッパの仏教学者により、合理主義の尺度から切り捨てられ、神話的伝説として削られてしまったのです。

じっさいに、阿含経をひもときますと、三明六通といわれるように、さまざまに釈尊が神通力をふるわれています。しかし、多くの近代、現代の仏教学者はこれらはみな、神話だと決めつけました。そこにあるのは、彼らの研究にとって都合の良い、釈尊というひとりの合理主義的な哲学者にすぎなくなってしまったのです。

その④

アートマンを否定した釈尊は、輪廻転生を否定したのではなく、なにが輪廻し、だれが輪廻から解脱するのかに明確に答えています。

ここは、日本の仏教学でも論争の絶えない部分なのですが、著者は阿含経から決定的な文証を提示し、みごとに解説しています。

アートマン(永遠不変の自己の本質)がなくても輪廻転生する。それは、死後、現世とはことなる五蘊の仮合が、執着によって生じるのだというわけです。しかしそれはあくまで因縁による仮合であって、アートマンではないと説きます。

その⑤

釈尊の説いた輪廻の本質と、修行法、そして輪廻から解脱する修行過程と心の状態を詳説する。

ここには、輪廻の鎖をいかに断ち切り、自由となり、霊的に高められ、清められた聖者になるかが説かれています。そして個人の成仏はそのまま社会の成仏につながる。釈迦の成仏法はこの輪廻の鎖、個人のカルマ、国土、社会のカルマを断つと訴えます。

 

最後に著者は真の世界平和は、武力では実現しないとときます。ただ滅亡を時間的に延ばすだけで、本質的な解決にはならない。カルマを断つ釈迦の教法しかそれはできないと訴えるのです。