バラモン文化の上に成立した仏教
阿含経などを読み進めていくと、巷で言われるように、ブッダの教えとバラモン思想は油と水のように相反するものではないものがわかります。
またバラモン思想とか、バラモン教というと、一般社会と乖離した感じがしますが、当時の古代インドでは、芸術も文化も宗教も、そして社会制度とも境目がありませんでした。ですからバラモン思想というより、バラモン文化といったほうが的を得ていると思います。
もちろん仏教ではアートマン(普遍的な自我)の存在を否定します。またカーストも否定した平等主義であることも明白です。
しかし、以前に取り上げたとおり、条件付きながら護摩によるバラモンの祭祀を最上であると認めていたり、リグヴェーダのマントラを認めたりしています。
そもそも、ブッダに教えを説くようにすすめた梵天は、バラモン教の神であります。梵天がいなければ、仏教はこの世に存在していないことからも、いかにバラモン教の神である梵天が仏教において重要な存在であるかが伺えます。
また、スッタニパータ、ディーガ二カーヤ大本経などで、ブッダの将来を占ったアシタ仙人はバラモン教の占いを専門とする出家者です。※南伝大蔵経長部経典では占相婆羅門と呼ばれる。漢訳長阿含経では人相占い師とあり。
ブッダが生まれたとき、アシタ仙人はブッダの父に三十二相というバラモン伝統の占いにより、この赤ん坊は、将来、武力を用いずに世界を統一する王、転輪王となるか、阿羅漢、正覺者になるであろうと予言します。
そのほか、須弥山を中心とした世界観や、帝釈天、四天王、阿修羅などの神々の観念も共通しています。
結論
ブッダ釈尊が、仏教という宗教を無から作り上げたのではなく、バラモン文化の下地の上に、ある部分は肯定し、ある部分は否定しながら、説き始めたというのは明白です。
以下最も古い成立と考えられるスッタニパータ『ブッダのことば』中村元訳から抜粋します。
11 ナーラ カ
679 よろこび楽しんでいて清らかな衣をまとう三十人の神々の群と帝釈
680 こころ喜び踊りあがっている神々を見て、ここに仙人は恭々しくこ
「神々の群が極めて満悦しているのは何故ですか?
どうしたわけでかれらは衣をとってそれを振り廻しているのですか
681 たとえ阿修羅との戦いがあって、神々が勝ち阿修羅が敗けたときに
682 かれらは叫び、歌い、楽器を奏で、手を打ち、踊っています。須
683 (神々は答えて言った)、「無比のみごとな宝であるかのボーディ
684 生きとし生ける者の最上者、最高の人、牡牛のような人、生きとし
685 仙人は(神々の)その声を聞いて急いで(人間世界に)降りてきた
「王子はどこにいますか。わたくしもまた会いたい。」
686 そこで諸々のシャカ族の人々は、その児を、アッタという(仙人)
687 火炎のように光り輝き、空行く星王(月)のように清らかで、雲を
688 神々は、多くの骨あり千の円輪ある傘蓋を空中にかざした。また黄
689 カンハシリ(アシタという結髪の仙人は、 こころ喜び、嬉しくなって、その児を抱きか顔の上に白い傘をかざされて白色がかった毛布の中にいて、黄金の飾りのようであった。
690 相好と呪文(ヴェーダ)に通暁しているかれは、シャカ族の牡牛
691 ときに仙人は自分の行く末を憶うて、ふさぎこみ、涙を流した。仙
「われらの王子に障りがあるのでしょうか?」
692 シャカ族の人々が憂えているのを見て、仙人は言った、
「わたくしは、王子に不吉の相があるのを思いつづけているのでは
693 この王子は最高のさとりに達するでしょう。この人は最上の清
694 ところが、この世におけるわたくしの余命はいくばくもありません
695 かの清らかな修行者(アシタ仙人)はシャカ族の人々に大きな喜
696 「もしもお前が後に『目ざめた人あり、さとりを開いて、真理の道
697 その聖者は、人のためをはかる心あり、未来における最上の清らか
698 〈すぐれた勝利者が法輪をまわしたもう〉との噂を聞き、アシタと