阿含経を旅して

阿含の教えに学ぶ

ところで十善業とは

阿含経 1039 淳陀経

このお経は十善業が詳説されています。

バラモン儀礼的な浄行を実践する淳陀長者にたいして、

黒法には黒報、不浄には不浄の果があり、重い荷を背負えば下に向かうように、早朝、沐浴のあと、これは清浄なりと口にするような儀礼をいくら行っても、これらの行いを離れていなければ、不浄なものは不浄の果があるのであると説いて、真の清浄行を説きます。

それが十善業であります。

これは身体の行為、言葉の行為、心の行為に分類されるもので

①以下の身体の行為を離れ、慚愧して、一切衆生が苦しみから逃れられるよう念ずる。

 殺生、偸盗、邪淫

②以下の言葉の行為を離れ、真実を説き、和合して随喜し、法を説く。

 妄語、悪口、両舌、綺語

③以下の心の行為を離れ、正しい見解を成就する。

 貪り、瞋恚、邪見

以上の十項目です。これらは仏教の基本の徳目ですから、ご存知のかたも多いとおもいます。

またいちいち解説する必要もないと思います。

しかし、最後の邪見は詳説する必要があると思います。

簡単にいえば、よこしまな見解、正しくない見解ということですが、ではなにが邪で、なにが正しくないのかということは、現代人が解釈することとは全く違います。

 仏陀の説く邪見とは

①布施なく

②報いなく

③福なく

④善行悪行なく

⑤果報なく

⑥この世、他の世なく、

⑦父母なく

衆生の世間に生まるるなく

⑨阿羅漢のこの世、他の世に自ら証明して、なすべきことを成し終わり、もはや生まれ変わることはないと知ることもない。

すなわち邪見とは、仏教のとく因果応報を否定し、この世とか、次の生である他の世もない、父母(祖先を含める)もなく、衆生の輪廻転生もない、阿羅漢がもはや輪廻することはないと自ら証明することもないという見解。

仏教の教えは因果応報を繰りかえす輪廻からいかに解脱し、阿羅漢(ブッダ)となるかがテーマですから、それらをすべて否定しているので、完全な仏教否定なのです。