阿含経を旅して

阿含の教えに学ぶ

パーリ長部経典のアータナータスッタからわかること

パーリ長部経典のアータナータスッタからわかること

Vシネマまっさおの威容をもつ四天王がブッダ仏弟子を悪鬼から守るための呪を教えた。

②呪は二部構成からなり、第一部は過去七仏と、四天王それぞれの神様の賛嘆と帰依からなる内容

③第二部はそれでも邪魔をする悪鬼には、より強力な護法善神を呼び出し、調伏を祈る内容

ブッダはこの護呪(パリッタ)に習熟せよと説いた

 

さて、ほんとうにブッダ釈尊は、子供にサンタクロースの存在を信じさせるように、弟子や信者たちに四天王を信じさせたのでしょうか。

普通なら漫画のなかにしか存在しないような空想の産物から身を護るために、釈尊は、わざわざこの四天王の呪を習熟せよと説いています。

このように考える現代人はもちろん常識的な人であります。

しかし、それなら、日本に数ある神社でお祀りされている神さまは、みんな空想の産物で日本人は、おとぎ話のようなキャラクターに入れあげているということになります。

たしか福沢諭吉さんのエピソードに、村の稲荷神社に御神体として祀ってあった石を別の石にすり替え、村人がその前でご神体を敬っているのをみて笑ったそうです。

しかしながら、先祖を敬い、神々に畏敬の念を持つといった日本人古来からの精神性をにべもなく断じて、一顧だにしない世界観からは、日本の精神文化が生まれることも、育まれることもなかったでしょう。

※ちなみにご神体の石というのは、神道の常識からいえば、「御霊代」みたましろのことであって、当然、神そのものではありません。鏡、剣、玉、石、弓矢など永久性を帯びるものに憑依するとあります。

ブッダは霊的世界とその存在を経験し、霊的存在たちに祈ることの大切さを説いています。この流れはさまざまな護法善神や、諸仏諸菩薩に祈る原型ともなって、密教へと発展していきます。

 

阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下は、仏典にしばしば登場する龍王龍神の記述を、ヘビの話に尾ひれがついて神話化されたものと考える仏教学者に対してこう述べておられます。
龍王龍神と、ヘビとはなんら関係ないのである。
龍王龍神とは、いうならば、大神通をあらわすひとつの意志を持った巨大なエネルギーであるとわたくしは考える。その大神通のエネルギーが、わたくしたちにその存在を示そうとするとき、どういう形状を以てするであろうか? そのエネルギーがわたくしたちの意識の中でそれにいちばん近いもののかたちをとるとき、「龍」という概念になる。

「龍」はわたくしたちの想像の中で、風をよび、雲にのって大自在力をふるう』という神霊的なものとして、意識に定着している。それは古代インドにおいて、ブラーフマナや、スートラ文献にしばしば登場し、大神通力をあらわす神霊的存在となっている。それが、現代におけるわたくしたちにも、信ずる、信じないはべつとして、意識の底にうけつがれている。このエネルギーがわたくしたちのこころのエネルギーに感応してひとつの形状をあらわすとき、このかたちをとるのである。実在の生物としてのヘビとは、なんの関係もないのである。

『輪廻する葦』平川出版社より引用