阿含経を旅して

阿含の教えに学ぶ

仏教の世界観と大脳の構造

仏教の世界観は三界といわれる欲界、色界、無色界の三層構造になっています。

                  

起世經卷第八

於三界中。有三十八種衆生種類。何等名爲三十八種。諸比丘。

欲界中有十二種。

色界中有二十二種。

無色界中復有四種。

諸比丘。何者欲界十二種類。謂地獄。畜生。餓鬼。人。阿修羅。四天王天。三十三天。


何者色界二十二種。謂梵身天。梵輔天。梵衆天。大梵天。光天。少光天。無量光天。光音天。淨天。少淨天。無量淨天。遍淨天。廣天。少廣天。無量廣天。廣果天。無想天。無煩天。無惱天。善見天。善現天。阿迦膩吒天等。此等名爲二十二種。


無色界中。有四種者。謂空無邊天。識無邊天。無所有天。非想非非想天

 

ざっと欲界には12種、色界には22種、無色界には4種ありとし、合わせて38種の生命存在を説くのであります。

 

この三界は瞑想の深まりにおいて、だれもが認識できる世界として説かれています。つまり、下は地獄から上は非想非非想天まで、禅定で体験できる世界です。とすれば、大脳もまた、三界に対応した部位があるはずです。つまり、ブッダの説いた禅定の世界を大脳に対応して比較検討するということは大変興味深い話ではないでしょうか。

阿含宗開祖である桐山靖雄師は悟りを大脳生理学の上からも検証考察をかさねた指導者です。

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 この中で師は、大乗経典は新皮質脳の経典、阿含経は間脳開発の経典とし、詳細を説いています。p.101

また、瞑想は大脳辺縁系と新皮質脳しか動かすことができず、もろもろの因縁による人間の繫縛から解脱するためには、間脳をはたらかす瞑想が必要であると説きます。p.176

そしてきよめられた聖者・須陀洹のページp.223では

 

 人類はここ数千年間、新皮質脳による世界をつくりあげてきた。霊的世界を抹殺して しまい、霊的世界の存在を認識する間脳を閉鎖してしまった。現象世界と霊的世界が共存している実相世界をただしく認識させるためには、新皮質脳(と大脳辺縁系)を一時閉鎖して、霊的世界を認識できる間脳を動かす訓練をしなければならないのである。まちがいをおかしている心をまちがいをおかしている心で変えさせようとしてきたのである。これは徒労であった。新皮質脳をつかって新皮質脳を変えさせようとしていたのである。

と説いています。

これを三界にはてはめますと、欲界は新皮質脳、大脳辺縁系がつくりだす世界観と対応するかもしれません。さらに色界、無色界という禅定の境地がありますが、ブッダは無色界の最高所である非想非非想天まで上り詰めても、因縁解脱はできないのだとさとり、瞑想の師であったウッダカ・ラーマプッタのもとを去ります。

おそらくウッダカ・ラーマプッタは、新皮質脳、大脳辺縁系を完全に制御できた瞑想の達人だったのでしょう。しかし、どうやら間脳を開発し、大脳を制御するまでの境地には達していなかったのです。そのため禅定から醒めてしまえば煩悩も発生して、消えてなくなる訳ではなかったと聞きます。

ここで、霊的世界について一言触れておかなければなりません。開祖の説く霊的世界とは、間脳を働かせ、人間を業によって縛る因縁の繫縛から自由になるための世界であり、ブッダのとく、聖者の第一段階、きよめられた聖者・須陀洹がまのあたりに認識する世界であるということです。

 

※四向四果 とは、原始仏教や部派仏教における修行の階位のことであり、預流向・預流果・一来向・一来果・不還向・不還果・阿羅漢向・阿羅漢果(音訳で須陀洹、斯陀含、阿那含、阿羅漢)のこと。四双八輩ともいう。果とは、到達した境地のことであり、向は特定の果に向かう段階のことである。 ウィキペディア

 

すると、三界のなかに聖者・須陀洹はいないのかというと、そうではありません。これも経典で解説されており、須陀洹から斯陀含までは欲界に属します。阿那含は色界、無色界で、阿羅漢はもはや三界に依存しない涅槃に入ります。

 

やっぱり大脳辺縁系大脳新皮質の影響下にはいるのです。しかし、凡夫とちがうのは、聖者は、欲界に存在はするが、間脳が働き始めるとだんだんと欲界の影響から自由になっていきます。