阿含経を旅して

阿含の教えに学ぶ

ブッダは占いを禁じたか?

パーリ長部経典、沙門果経において、ブッダは占いを禁じています。

ところが一方で、三十二相は肯定的に説かれています。三十二相とは、赤ん坊のシッダールタを抱き、この子はのちに仏陀になると予言したアシタ仙人が用いた占術でした。スッタニパータには、相好とヴェーダに通暁した仙人とあります。

アシタ仙人の通暁した相好とヴェーダとはいかなるものだったでしょうか。わたしたちは、それを三十二相として比喩的に知ることができるのみです。無論、三十二相は浩瀚な叡智の宝庫であるヴェーダ思想を背景にもつことは間違いないでしょう。もとより三十二相の深い理解にはヴェーダの知識が必須であることもスッタニパータは示しています。

これは単なる占いではなく、三世を見通す輪廻転生と業の生命論によって完成された運命学であったのです。三十二相は表層の言わばお題目のようなものにすぎません。じっさいには、膨大なヴェーダの叡智や口伝が必要とされた生命論であり、運命学の一角であったのです。

そして、若きシッダールタ王子は燃え上がるような探求心を胸に、自らの将来を見通したこの運命学を深く研鑽したことでしょう。そして、おそらく、その運命学、輪廻転生からくる業思想が間違いでないことを知り、自らその運命学を超える運命転換、いわば因縁解脱の法を探求しはじめます。

ブッダがアシタ仙人の通暁した相好とヴェーダを体得していたことは、彼が、長部経典、三十二相経で弟子たちに三十二相を説いていることからも容易に推察できます。

果たして、ブッダは占いを禁じたのでしょうか。

おそらく、高度な運命学の前で、巷に流行する占いは幼稚であるばかりか、危険であったのでしょう。しかしながら、一方で、バラモン教に伝わる伝統的な運命学はこれを体得し、弟子たちにも教えていたことがわかります。

増一阿含経にも、仏弟子のひとりとして、星宿を通暁し、吉凶を知るナーガパーラという弟子がいたことが説かれています。この星宿というのは、おそらく宿曜暦のことであろうかと思われます。

ちなみに、桐山靖雄大僧正猊下の『密教占星術Ⅰ』では、ある仏書に伝わることとして、この宿曜暦というのは、古くからインドにあった暦法で、ブッダの前身であった珠致羅婆菩薩が日月星の暦数を説かれ、その説教により梵天王が暦法をさだめ、その梵暦に占術を加えたものがアシタ仙人が体得していた運命学であったそうです。そしてそれを文殊菩薩仏陀から説かれて後、宿曜経と名づけて解説したそうです。

これはあくまで伝説ではありますが、仏典には数多くの宿曜経典が存在することから、その源流を長部経典、またスッタニパータにたどることができるのであります。

この『密教占星術Ⅰ』はインド古来の運命学に触れ、仏教がいかに運命や宿命を転換するかをテーマとした素晴らしい運命学入門書で、ぜひ手に取って読まれることをお勧めいたします。

それでは最後にその著からの引用をさせていただきます。

仏陀の「法」の源泉

そこで、いいたいことは、仏陀をはじめ数多くの自由思想家たちも、解脱を考える前に、まず、輪廻と業の思想が事実であるかどうかを確かめたであろうということである。

いや、他の思想家たちは措くとして、あの賢明で合理的な仏陀が、無条件でバラモンの輪廻思想を受け入れるということは考えられないことで、まず第一に、バラモンヴェーダウパニシャッドが説く生命観、運命観の真偽を確かめたのに違いないのである。

 

そのために、彼は、バラモンの運命学を学んで(というのは、バラモンの運命論、人生論は、彼らの運命にたいする洞察、即ち、彼らの運命学の上に立って成立しているからである)バラモンの説く運命論、人生論が誤っておらぬことを知ったわけで、その上にたって因縁解脱の理論と方法論が展開されることになったと見るべきである。仏陀は、バラモンに伝わるヴェーダウパニシャッド、また、バラモンの僧侶、神官たちから、運命学を学び、さらに彼自身の知識を加えてより完全なものにした高度の運命学を「法」として弟子に伝えた。この伝統を引くものが、前に述べた「密教占星学」である。

 

この「密教占星学」は、仏教の教理を成立させる上に非常に重要な役目をなすもので、仏教教義に欠くことのできないものである。この密教占星学の実践部門である密教占星法、あるいは密教占星術によって実際に人間の運命を透視してみて、はじめて、人間生命の三世にわたる輪廻がはっきり実証されるのであって、その上に立ってこそ、そこからの解脱がなっとくできるわけである。