釈迦牟尼が説いた先祖供養の必要性
「アーナンダよ。 ヴァッジ人が(都市の)内外のヴァッジ人のヴァッジ霊域を敬い、
この霊域cetiyaというのは、お墓のことです。中村先生の解説では死者の遺骨の上につくられた塚またはその場所に植えられた樹木を意味するとあります。
ブッダの時代にも、ご先祖のお墓をお祀りし、供養するということが重視されていたことがわかります。
南伝パーリの律蔵には、墓所樹下の祖霊への供物を盗んだという記述もあり、そのほか、墓地では遺体を火葬に付されるといった記述もあることから、ブッダ釈尊の時代の祖霊供養というのは、墓地、火葬、供物、樹下というのがセットだったことがわかります。
祖霊供養の大切さというのは、餓鬼事経というパーリ仏典にまとまって記されています。『仏弟子の告白』533偈では、智慧ゆたかな健き人が或る家に生まれると、実に七世代(の父母)を浄めると説かれています。
墓と祖霊供養の様式ですが、特にブッダが定めたものはありません。ただ法にかなった供養をしなさいというというのがブッダの教えです。巷に流行している樹木葬とはまったく別ものです。
ここでは「アーナンダよ。 ヴァッジ人が(都市の)内外のヴァッジ人のヴァッジ霊域を敬い、
素直に読めば、ブッダは祖先の墓地を敬い、法にかなった供養によって大切にお祀りしなさい。それが存続する間は、国の繁栄があり、それを廃止すると、国が衰亡するほどのことが起きるかもしれないと説かれているのです。