阿含経を旅して

阿含の教えに学ぶ

いま仏教徒がなすべきこと。

149 あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし         生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。
150 また全世界に対して無量の慈しみの意を起すべし。
       上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。
151 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この         (慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。中村元

有名なお経スッタニパータの『慈しみ』の一節です。ブッダはこのお経で慈しみによる世界平和を説いています。

しかし今や世界のあちこちで、紛争はやまず、独裁主義が息を吹き返し、一層不穏な空気が世界を覆うようになりました。

世界の仏教徒は一層奮起して全世界に対して慈しみの実践をすべきです。

しかし、実践する仏教徒は少ないです。なぜなら、『無量の慈しみ』の心をどのように実践したらよいのか。『無量の慈しみ』という心の力がどれほどの力か、具体的に見当もつかないからです。 

勿論、これぐらいのことは、どんな思想界のリーダーでも言えそうに感じます。

しかしながらブッダの発する言葉は違います。

まず第一にいっさいの生きとし生けるものとは、生物だけでなく、霊的世界の有情もはいるということです。仏教で説く一切の世界とは、三界、すなわち欲界、色界、無色界のことです。

これは禅定の深まりによって体験できる世界で、深い意識のなかで、その認識が全宇宙にまで広がる体験です。

つまりブッダは、現象界の上に肉体を超えた数限りない霊的世界の有情に対しても呼びかけています。ブッダの説く『無量の慈しみ』とは誇張でも譬えでもなく、実際に無量の生命に対する無量の慈しみにほかなりません。

なぜ霊的世界にまで呼び掛けるのか。それは、三界の大部分はじつは霊的存在によって占められているからです。とくに人間は死んで終わりではなく、霊的存在として縁起の法則によって存続していきます。いや、あらゆる生物が六道輪廻をするのですから、すべての生物はじつは、霊的存在だといっても過言ではないのです。

その霊的存在としての人類が、度重なる戦乱や、侵略、理不尽な弾圧を繰り返し、怒りや、貪り、愚かさ、悲しみや恨みつらみをもったままで、どんどんと増え続けたら世界はどうなるでしょうか。

まえに無数の鬼神(霊的存在たち)がこの世界に満ちており、かれらは、個人にも家庭にも国にも様々な影響を与えているというブッダの教えをご紹介しました。

いつ核戦争がおこっても不思議ではない、現在の社会は、そのまま霊的世界の不浄を示しています。

下記ブログ参照 

zaike.hatenadiary.com  

つまり霊的不浄とは、霊的存在の怒りや、懊悩の塊の集積です。これを浄めることができるのは、ブッダの成仏力しかありません。

なぜなら、ブッダのことばは、実際に三界を見据え、三界に対して、やすむことなく仏法を説き、三界にいきる有情の幸せ安穏を祈り、無量の慈しみを注ぎ続けています。そしてその祈りは実現する力をもっています。

なぜなら禅定の深まりにおいて、発せられた言葉には、じっさいに全生命に対する救済力があるからです。 

では、ブッダがひとり、宇宙大にまで広がった意識によって、かってに人類が救えるのかというとそうはいきません。いかにブッダが全世界にむかって法を説いても、人類のひとりひとりが違う方向を向いていたのでは、その祈りは届かないのは当たり前のことです。 

わたしたちは、ブッダの祈りに対して、祈りをもってこたえる必要があります。

またそのためにブッダの祈りの原点である、ブッダが説いた成仏法を学び、実践していくことが必要です。

阿含宗では、阿含経にとかれた成仏法の実践をするとともに、生きた人間だけでなく、無数の霊的存在にも祈りを向けたブッダにならい、世界各地で戦争や災害で不幸な死に方をされた御霊に対して、ブッダの成仏力が届くよう、ブッダに祈りをささげています。そのために、より多くの人の祈りを集めています。

まずは七月十三、十四、十五日の盂蘭盆万燈会です。

こちらはご先祖供養が主たるものの、世界各地で紛争や疫病で亡くなった方々のご供養も致します。

www.agon.org

ご縁があれば、ぜひご参拝ください。